第35回詰将棋全国大会(大阪)

先週、大阪で開催された全国大会に参加してきました。
看寿賞受賞とのことで、交通費・宿泊費は全詰連に負担していただきました。

当日朝に東京から新幹線に乗って大阪入り。
全国大会も5回目となれば、勝手が分かってくるものです。
お世話になっている方々に軽く挨拶して回って、12時に開会。

今回は看寿賞の表彰でステージに立たせていただきました。
石黒さんにはイケメンな作品解説をしてもらいました。
また、同じく短編賞を受賞された有吉さんと席が隣どうしだったのですが、私の過去作をいろいろ褒めていただいて光栄でした。

今回の握り詰ですが、一つ抜け出た作があり、続いてセンスの良い作があり、残りは無難な作品、という印象。
握り詰の場合、どうしても収束をきれいに作るのが難しいと思うので、それをいつもなら中編にして捌きの手順でごまかすのですが、今年は手数制限のためそれも難しい。というわけで、作者の技量が如実に表れた気がします。
私は、在庫の中にぴったりのものがなければ、握り詰は投稿しません 笑。作れないので。

第二部では、恒例のミニ解答競争と、そしてクイズ大会。
解答競争は、32/60点といつになく好調だったのですが、予選突破ならず。後ろ2ページはほとんど手付かずでした。
クイズ大会は、7問正解。堀半七の問題を間違えたのがダメでした。
毎年、アトラクションの運営は大変かと思いますが、スムーズな進行で見習いたいところです。

その後は懇親会、二次会とご贔屓にしていただきました。
私が詳しく知らないスマホ詰パラ出身の若手の方々と話せたのが収穫かと思っています。
また、ちえのわ雑文集も、書き手が何名か見つかってよかったです。

翌日は、難波で久保さん、馬屋原さん、上谷さん、山路さんなどのメンバーといろいろな話をして過ごしました。
皆さんいろいろな引き出しがあって、話していて飽きないです。

今回、刺激を受けて、いくつかブログで書いてみたいネタもできましたので、またそのうち。

第33回詰将棋全国大会参加記 後編 in名古屋

前記事から続いて、後編です。

ゲストハウスで起床したら9時半。熟睡しておりました。
喫茶店で時間を潰しつつ、会場に到着したのが12時少し前。
正直、前夜イベントが終わってほっとしていたという感じで、全国大会は気楽に過ごそうという気持ちでした 笑。

受付が始まる時刻には、すでに会場に行列が。
知り合いに挨拶しつつ、受付を通過して前のほうの席を陣取る。
その後は、会が始まるまで名刺交換のためうろついていたり、記念詰将棋を解いたりしていました。
今年の記念詰将棋は、第33回大会にちなんで初形曲詰「3」とあぶり出し「3」のコラボ。どちらも完成度高めな割に易しい作品で、僕でも暗算で解けました。記念詰将棋としてまさにベストです。作者当てのおまけつきでしたが、ちゃんと2作とも自信をもって回答しました。

定刻通り開会して、やはり司会は今年も石黒さん。
SNS禁止、プロ棋士との写真撮影・サイン依頼禁止といった告知は今年ならではでしたが、まあ仕方ないところですね。
各氏の挨拶も滞りなく進んでいきました。谷川九段の自虐風ジョークがおもしろかったです。

看寿賞表彰は、柳田さんの突然の図らい(?)によってインタビュー形式になったことが去年からの変更点ですが、これは言われているように例年通り普通にスピーチしてもらったほうがよかったでしょうね。
あと、受賞者全員が揃うっていうのはレアケースなんじゃないでしょうか。
というか、こうして並んでみるとやっぱり若手全盛期という感じ……。
作品解説は柳田さんではなく運営委員の堀内さんが担当。さくさくと進む解説で聞きやすかったですが、毎年思っているように看寿賞作のエッセンスを短い時間で語り尽くすことは不可能なので、来年に向けてどのような層を対象にしていけばよいかが論点になりそうです。今回は、例えば「LCM」は、なぜ飛角の位置を変えなくてはいけないのかが一切解説されないまま「最小公倍数原理です」というだけで終わってしまっていたので。

七條賞、門脇賞表彰も、受賞者が参加されているというのはやっぱりいいですね。
藤井四段は、解答選手権で会ったときよりもさらに大人びている印象でした。

握り詰作品の紹介は水谷さん。
解説はスピーディーながらツボを押さえていてとてもよかったです。作者によるアピールタイムもこうあるべきって感じでした。
あと今年は使用駒の関係もあって、易しい作品がそろっていました。(去年みたいに「これは……!」という作品はありませんでしたが)

休憩時間中に握り詰めと記念詰将棋の解答を出し、そして書籍コーナーをうろついていました。短編名作選2冊と、解答選手権2017年鑑を入手しました。どちらも僕が解説に協力させてもらっていますので、ぜひご一読を。また詳しく紹介する機会はあるかと思いますが、短編名作選は詰キストを名乗るなら必読書となるかも、というくらいの内容だと宣伝しておきます。

第2部はレクリエーション。
ミニ解答競争はここ近年の流れをくむスタイル。時間が15分に伸びたということで、少しはゆっくり問題に向き合える余裕ができました。
30題で90点満点ですが、僕は一般人枠の平均みたいな点数、43点。いやこれでも健闘したほうかと。問題のレベルも去年の塩見特集に負けず劣らず、好作の寄せ集めでした。よく作るなあと思います。
今年は決勝戦はなく、単純に点数で上位陣の順位が決定。藤井四段の優勝は、もう実力以外の何物でもないというものですね。柳田会長も去年に続きステージに上がられるのもすごいことです。

レクリエーションその2は、ヒルナンデスでやってる「クイズ3分で当てましょう」みたいなもの。まあ結果的に今回の地雷企画となりましたね 笑。
スライドが表示されなかったのはまあ当日のトラブルは付き物で仕方ないとして、運営自体がやたら大変そうな企画でした。前日までに詰キスト100人にアンケートをとって、それを当日集計するっていうのと、複雑なゲームルールの中でうまく進めていくのが……。進行を打ち合わせなしで丸投げされた石黒さん、お疲れ様です 笑。
あともう一つこれは失敗だなーと思ったのは、詰将棋マニアでさえ答えるのに窮するようなクイズなのに、詰将棋を始めて間もない方々にステージ上で無理やり答えさせるというのも、なかなかの鬼。「愛知県の詰キストといえば」「指将棋の強そうなアマチュア詰キストといえば」なんて質問、僕でさえ厳しいのに、しかも1~3位は先に答えを開けられてしまうので無理。「人」に関する質問なんて、その人にどんな失礼にあたるかわからないので、ビギナーだったらなおさら答えられないでしょうし。
というわけで、そういうライト層が楽しめないような企画は全国大会として本末転倒だなあと思って眺めておりました。来年への課題。
あ、景品の藤井四段サイン本がここで登場したのはめっちゃうらやましかったです 笑。

以降、恒例の一人一言は省略の流れで記念撮影をして全国大会は閉幕。
一旦解散となって、近くの懇親会会場へ向かうなりぐだぐだしてる間に、また名刺交換が捗ります。

今年の懇親会はなんだかおしゃれな会場でした。広さ的にも、ちょうどいいくらいですかね。
始めての方ともいろいろお話しできました。ここに書いててもキリがないので書かないですけど。
記念詰将棋の作者当てが的中したということで、駒の消しゴムと図面用紙を景品でもらいました。
服部さんの乾杯の音頭と、久保さんの締めも去年から引き続き。あ、今年は一本締めの合図は宮原くんでしたか。

2次会、3次会では例によってテーブルの上に盤が出てくる展開になります。
1年に1回、ここまで詰将棋に浸れる日というのも贅沢なものです。しかも今年は前夜イベントもありましたので、満足度は高いです。

この日、24時過ぎの高速バスに乗って東京へ帰りました。
生活リズムが未だに回復しません……。

さて、懇親会の場で、来年の首都圏開催ではやっぱり若手が中心となってプロデュースするよう言われてしまったので、まあ就活などに差し障りのない範囲で最大限がんばりたいと思います。
今週末の詰工房で、さっそく状況をうかがうというか、運営が発足される感じになったらいいと思うんですけど、皆さんどれだけ来られるんでしょうか……。全国大会で燃え尽きてたりしないですよね……?

第33回詰将棋全国大会参加記 前編 in名古屋

全国大会参加記は毎年、詳細なレポート風のものを書いてるのですが、最近は若手詰キストによるブログであちこち書かれているのと、あと単純に面倒だと思ったので 笑、今年はやめておきます。

今年、全国大会以上に自分にとってメインだったのは前夜イベントのほうで、講師を任されていたのでそれなりに準備して臨みました。
去年の全国大会で元水さんに声をかけていただいて、果たして何を喋ればいいものやら……とずっと考えていました。
僕は例えば詰将棋の構想面で先端を行く作家でもないですし、詰将棋の歴史に詳しいわけでもないので、そういうところを喋るのであれば自分以外に適任がいるはず。自分でないと喋れない内容で、そして「参加されるのは詰キストばかりなので、内容は上級者向けでお願いします」と言われていたため、それにふさわしいものを……と考えると、一つ浮かんできました。
「美学・藝術学の視点から現代詰将棋を俯瞰する」
大学の教養学部時代に、美学を扱う講義を取っていて、そこで話される内容が詰将棋と関わりのある形で自分の頭に入ってきたものですから、どうにかこれをテーマとして今回の機会にお話できないかと思いつきました。
美学の入門書をいくつか繙いて、それを詰将棋にあてはめた際にどういうものが見えてくるのか。何か新しい考え方の一つでも提示できればいいな、と思っていたのですが……すいません、いかんせん時間切れです。あと僕の実力不足です。
クリティカルに詰将棋に迫るような内容をまとめあげられないまま当日が迫ってきて、急いでレジュメとスライドを作成。あとは自分のトークでどれだけ議論を呼べるかに期待を託すことにしました。

15日、朝7時東京発の高速バスに乗って名古屋へ。たいへんな渋滞で、名古屋駅に着いたのは15時過ぎでした。
名古屋に住んでいる高校の友人と軽く話して別れ、会場の「ウインクあいち」に着いたのは18時15分くらい? なかなかギリギリになってしまい申し訳ありませんでした。
会場にはなんと70人近くの詰キストが集合しており、せいぜいたま研くらいの人数だろうと予想していたのでこれは驚きました。

準備の都合などで、3つある講義のうち堀内さんのソフト紹介が先に回されました。
内容的には、まあ普通にネット情報をチェックしていればだいたい知っている、というようなオーソドックスなもの。質疑応答でいろいろな情報提供がなされて、受講者のレベルの高さに講師たじたじな印象 笑。金子さん作成の諸ツールの使用レビューを聞きたいところです。

堀内さんの講義が短く終わったので、10分ほど繰り上がって僕の講義が開始。
会場で配られていたレジュメが、僕が事前に送っていたものとレイアウトが崩れていたり数式が消えていたりして、誤算。docxファイルじゃなくてちゃんとこちらでpdf化してから送ればよかったですね。
正しいレジュメをこちらに載せておきます。

美学・芸術学の視点から現代詰将棋を俯瞰する

なお講義にはPowerPointによるスライドも使用しましたが、こちらは非公開とさせてください。
レジュメを見ていただければわかるように、ガチガチの美学入門みたいな講義です。最初のほうは自己紹介やイントロダクションで受講者の反応も見て取れたのですが、藝術の定義云々の話になっていくと、ドロップアウトされていく方が結構出てきたなあと見渡しながら喋っていました 笑。
このあたりをいかに興味を引くように聞かせるかは講師の腕だと思うので、まだまだです。

後半になって、詰将棋はデザインとしての面が強い、というような話から、最後美学の視点から見た詰将棋の今後について議論のポイントを挙げて、ここで締めとしたのですが、このあたりは多少食いつきがよかったかなと思っていました。
もし別の機会があるなら、このあたりを論理的に深めていきたい気もしています。
質疑応答では、柳田さんから、湯村氏による「制約の美」という詰将棋感について教えていただきました。この点に関しては、日頃僕が感じていることにまさに一致していて、今回の講義でも可能であれば話したいと思っていたことで、美学を踏まえた上でどう扱っていけばいいかがポイントになりそうです。
次に、北村さんから「デザインとしての詰将棋」の話に関連した意見をいただきました。講義中の、「詰将棋をデザインとして捉えるなら、作者名を表示しなくていい場合もあるかもしれない。例えば、新聞詰将棋」という内容に反対するような趣旨でした。僕がそれにレスポンスしている流れの中で、別のお二人からも意見をいただきましたが、どんどん横道にそれていく方向だったことと、意見の内容をやや違ったふうに僕が解釈してしまい回答が噛み合わなかった感じで、混沌としてしまったのは反省点です。
このあたりで時間切れ。今回話しきれなかった内容はまだまだあるので、いつかまた議論を交わせたらと思います。

講義の3つ目は、久保さんによる連合の話。
さすがに最近の作品は僕も理解しているつもりなので、復習しつつ、一方で久保さん独自の分類の上手さ、説明の上手さに感心しながら、楽しく聞いていました。
講義の収束をもう少しまとめたかったところではあります 笑。

セミナーの後で、講義の感想を言いに来てくださった方が何名かいて、とても嬉しく思いました。
大学で美学をかじっていまして……という方が、今回の講義名を見て参加を決めたとおっしゃっていて、ほんとうにありがたい限りです。やってよかったなと思いました。

解散後、コアメンバー入り交ざった形で二次会へ。
いつもどおり自作を並べる会となりました。
でも今回一番の収穫は、山路さんの看寿賞作の創作過程を聞けたことです。純粋に感動。いやー詰将棋ってこうやって作ればいいんですね。

夜も遅くなって、名古屋勢の終電が迫ってきたたところで解散。
僕は資金難につき、一泊2500円のゲストハウスに宿泊しました。大学に入ってからよく自転車で旅行に行くのですが、長旅でゲストハウスにもよく泊まっているので、こういう環境のほうが落ち着くものです。たとえシャワーのお湯が出なくても。

つづく。

第318回詰工房参加記

半年振りくらいの詰工房です。しかも半年前はのんびり会目当てで詰工房はついでだったので、ほとんど1年振りかもしれません。
月末の土曜は何かと予定が被ってしまいまして……。今回は日曜だったので参加できました。

3時半過ぎにきゅりあん着。スクリーンには偶然にも高校発表作が映されていました。噂をすれば何とやら? ちょうどいいのでとコメントを求められましたが、特に思い入れがある作でもないので逆に困ってしまいました。

春霞賞候補作は、野曽原さんの「等時性」に決定。相馬さんの4連続打診中合とは僅差でした。
候補作選考時には、構想作以外にも、安武利太さんの好みの作がたくさん紹介されるのがいつもの光景ですが、5月号雑感にも書いた通り、2月号には僕好みの作はありませんでした……。

選考が終わった後の時間を利用して、いつもの若手グループに新作をいくつか出題。
実は5月の間にゲリラ的に10作も作っていて、誰かに見せたくて仕方なかった感じでした 笑。

2次会でも引き続き、新作出題が続きました。
あとは、馬屋原さんと利波さんの握り詰を解いたり。馬屋原さんはちえのわにも2か月にわたって握り詰について書いてもらいましたが、利波さんも毎年それに負けじといい作品を出されています。今年も上位間違いなしだと思います。

順位戦の話題なども一段落して、若手が帰り始めたので、一転してちえのわ雑文集の話。
いつものことながら、原稿募集中です。
9時過ぎに解散の流れとなりました。

次の会合は全国大会ですね。楽しみです。

解答選手権2017初級・一般戦

藤井四段の快進撃が話題ですね。
おかげで最近、指将棋界にも少し注目するようになってきました。
連盟にとっても、一連の不祥事の空気を一変するためにここが勝負どころなのかもしれません。(三浦九段への補償がおざなりになっては困りますが)

さて、先週土曜にありました解答選手権の話題。
去年と同じく代々木オリンピックセンターです。この会場、いいですよね。

12時くらいから会場設営に携わり、参加者もたくさん集まってきたので受付開始時間を早めました。
競技説明の紙と参加賞を渡す簡単なお仕事。
受付している時に参加者の方から「いつも作品解いてます」と言われたのがとっても嬉しい。
小中学生、女性の参加者も数多く見られました。

いつも通り柳田さんの競技説明の後、予定より7分ほど遅れて初級戦の開始。問題はこちら→速報ブログ
スタッフにとって初級戦はたいへん慌ただしいです。5分を過ぎたあたりから続々と退出者が。スタッフは手の挙がったところへ駆けつけ、問題用紙を回収していきます。
20分経過するとようやく落ち着いてきて、みなさんじっくり格闘しているようです。
今回の関門は⑤ですかね。初手から26角、14歩、17金、19玉、37角迄というワナがありました。2手目16桂合限定で逃れているわけですが、これは巧い。初級戦では意地悪すぎでは、という声もあるかもしれませんが、1問くらいはこういうのがあってもいいでしょう。

40分経ち、答案を集め、採点室へ送り、そして会場のほうでは田中さんによる解説が始まります。
「1問目。香をどこに成ればいいかという問題です。23香成では34玉で上に逃げられてしまいますね。しかし21香成は遠過ぎで落ちられてしまいます。というわけで正解は、23香成!」会場「違う違う」
おもしろい解説でした。

全解者全員に認定証を渡し、初級戦は無事終了。⑤のためか、去年より少なめな印象。それでも0点の方はいなかったので(全員5点以上)、初級戦としてベストな選題だったんじゃないでしょうか。

休憩と、一般戦のみ出場の方の受付をはさんで、15:10から一般戦競技開始。問題はこちら→速報ブログ
こちらは僕が試験官を務めました。「残り○分です」と言う側も緊張しますね。

20分を過ぎた頃に最初の退出者。確か、初級戦でも最初に退出した男の子でした。ひとまず問題が難しすぎなかったことに一安心。
その後はぽつぽつと、だいたい5分おきくらいに退出者が。
去年はもう少し多かったんですが、まあスタッフ間でも今年の一般戦は難化したという印象だったので、こんなもんですかね。

60分で競技終了。今度は僕の解説となります。
大盤を使うのは、なかなかテキパキと動かなくてはならないので難しいですね。図面をすべて暗記しておいてよかったです。
詳しい解説は例によって、夏発売の年鑑をご覧ください(これも僕が書くことになっています)。

今年の一般戦を攻略するポイントは以下の通り。
①はウォーミングアップ。初級戦レベルの問題なのでこれは全員解きたいところ。
②が早くも勝負問題。それっぽい紛れが多くてここでハマると時間を浪費してしまいます。正解率が半分くらいだったので、やっぱり7手にしては難しかった。
③は知識問題。ブルータス手筋を知っているかどうかですね。初見の方は、紛れが少ないのでギリギリ閃いてもらえるか……というライン。しかし、あーこれねと油断してしまうと中合のワナに落ちてしまいます。プロ棋士でも引っかかったというTwitter情報。上位を目指す方にはこの問題が名案の分かれ目となったようです。
④⑤は、いかに早く解けるか。一桁手数じゃないと厳しい……という方も、どちらかには果敢に挑んで正解してもらいたいところ。
⑥は形が見るからにラスボスで、手順もラスボスにふさわしい。しかし決して難解作ではなく、構想を見破った気持ちよさも味わえる作品です。これが解けたら立派な詰将棋通でしょう。

と、いうわけで、一般戦担当からの上から目線な講評でした。

初級戦・一般戦とも、東京会場ではS木さんが圧倒的な二冠を達成。
なお今年は、全会場を統合した順位は出ないことになっていますのでご了承ください。(ただ速報ブログで後に掲載される結果を見れば、自分がだいたい全体で何位くらいかはわかります)

その後慌ただしく会場を撤収し、スタッフの打ち上げへ参加。
久保さん、馬屋原さんといつものごとく新作を見せ合ったりしました。
その3人で二次会として新宿へ行き、終電で帰りました。

今年の解答選手権、大きな問題もなく大成功と言えるでしょう!
また来年のご参加もお待ちしています。
さらに、解答選手権2017年鑑、毎年この本はあんまり売れ行きがよくないようですが 笑、詳しい解説が読めるのはこの本だけですので、7月に発売されましたらぜひご購入ください。

解答選手権2017チャンピオン戦

どうも、ご無沙汰してしまいすみません。なかなかにやるべきことが多くてブログに手がまわらなかったと言い訳を……。

さて、26日に行われました詰将棋解答選手権チャンピオン戦について簡単に記事を。
2月から本格的にスタッフとしていろいろ準備を進めてきたわけですが……。

9時半に会場入りしまして、机や盤駒を設置。えび研に参加したスタッフの馬屋原さん久保さんは眠そうでした。
10時半から受付開始。棋士の方もちらほら。
昨年優勝の藤井四段もスーツ姿で登場。
そして今年は報道陣が多かった……。

柳田さんのルール説明の後、橋本さんの合図で競技開始。
1Rの問題はこちらです。→速報ブログ
完全なるスピード勝負というのが事前の想定。1番と2番はさくっと解いてもらって、そして3番。これが1R唯一の構想作かつ勝負どころとなります。柿木将棋がバグって解いてくれないタイプの作品なので、僕も選題時に自力で解きました。オオサキさんらしいですね。
4番は、奨励会員やプロ棋士にとっては手が出やすく有利な作品。初手飛打の紛れを最初に読むでしょうがいかに早く見限りをつけるかですね。
5番はなんと相馬康幸さんですが、らしくない手順。でも解きやすいでしょうね。
開始30分経たずして藤井四段が退出。答案はすぐさま採点室のほうへ回されます。僕はずっと試験場にいたので、まあたぶん満点なんだろうさすがだなあと思いつつ見守ってしました。
終了が近づくにつれちらほらと退出者が現れ、90分にて競技終了。
あれ、もっと続々と退出するかと思ってたのに。
採点室へ行くと、ざわざわとしておりまして。それもそのはず、藤井四段が4番で33飛成のところ33龍と誤記し、49点! そして50点満点は4名しかいない!
そ、そんなに難しかったのか……。

1Rのトップはといいますと、大阪会場のダークホース、長谷川さん。去年の倉敷大会で運営されていた方です。実は先々週くらいに泊めてもらったんですが 笑、作品集の話などで盛り上がりました。ここ最近は詰パラの購読をやめてしまっていると聞き、そりゃいかんと言っておきました。
なお後ほど、長谷川さんも藤井四段と同じ誤記をして49点だと判明。結局1Rのトップは行方八段だったんですね。

藤井四段に誤記が告げられるシーン、NHKの取材陣がカメラに収めてましたね。

昼食を挟んで、2Rのスタート。下馬評ではこちらもスピード勝負でしたが……。問題はこちら→速報ブログ
6番。これトップバッターにしてなかなか難しいんじゃないかと。誰でも34馬、23銀合から考えますよね。その後14香とか。試験場で見回ってたらほとんどの方はこれに時間を取られていたみたいでした。(もちろんプロや奨励会の方は暗算で考えているのでよくわかりませんが)
7番。今回の双玉&誤解狙い枠。48桂成を見落とすとアウトです。まあただいちばん解きやすいでしょうね。
8番。端正な実戦形にして実は鬼門。44角、13玉の2手が決め打ちできれば解けると思うのですが。打歩回避の桂跳が好手。
9番は2Rの構想作枠。しかし若島さんにしては随分控えめでした。構想より序の数手と長い収束に苦戦しそう。
10番は自作。駒数少なく持駒なし、無防備。ポイントは46金消去のみで、ラスボスとしてはこれまた控えめです。

最初に席を立ったのはコーヘイさん。44分。早い。
このぶんなら続々と退出者が現れるな……と思っていましたが。
10分経っても、1時間を過ぎても、残り10分になっても……誰も動かない。
藤井四段は10番以外は埋まっていたようですが、どうも頭を抱えている様子。はて?
スーパーあつしくんこと宮田六段は8番を書いては消したりしています。
結局、退出者はおらず2R終了。うーん……。

答案は採点室へ送られ、待ち時間には橋本さんによる大盤解説。
手順を並べて「……よろしいでしょうか」で淡々と進んでいきます。たまに選手からの変化手順の質問が飛んだり。
9番は、ゲストということで作者の若島さんが解説されました。「藤井四段用の作品を用意しようかと思ったのですが、やっぱり皆さんに解いてもらえるようなものを出しました」とのこと。
その調子で10番の解説が僕に回されそうになったのですが、胸を張って解説するほどの作品ではないので辞退しました。選手から変化をツッコまれてましたが、ああほんとに解説しなくてよかった 笑。
なお僕の大盤解説は4/8の一般戦(東京会場)のほうで担当しますので、皆さんぜひ。

そうこうしているうちに採点が終わったようで、柳田さんから順位発表。結果は藤井四段が見事に挽回を図って、優勝! しかし2Rでも誤記が1件あったのと(8番の13角行成の「行」ヌケ)、10番が途中までしか解けず部分点。91点でしたね。それでもこれで3連覇。やはりただ者じゃありません。
そんな彼が解けなかった唯一の問題の作者ということで、僕のほうにもNHKと朝日新聞の取材が回ってきましたが、寝不足などなどでひどい顔とひどい応対をしておりまして、万が一将棋フォーカスで放映されたとしたらお目汚し失礼します。
いやでもまさか10番がそんな難問とは思わなかったので、なんにも回答用意してませんでしたよ……。

会場撤収し、同じ代々木オリンピックセンター内のレストランで立食の懇親会。
藤井四段は獅子王戦の対局を控えておりすぐにそちらに向かわれましたが、棋士ではいつもどおり行方八段と、そして上村四段が参加。上村四段とは「10番は金は消してみたけど変化の19飛が見えなかった」「棋士は解答選手権で盤に並べる時間を惜しむ」などといったお話をしました。
あとこのブログでも裏短コンで参加していただいた太刀岡さんとも挨拶できました。大学将棋部での活躍が楽しみです。
そしてとり研メンバーも。上谷さんはフェアリー100番作品集が近いかもとのこと。

そんなこんなで、あっという間に懇親会はおしまい。
今回は体力的にあれだったので、僕は二次会は遠慮させていただきました。

解答選手権は全国大会に次ぐ一大詰将棋イベントです。
皆様ぜひご参加を!

そして、4/8には解答選手権初級・一般戦が全国16会場で行われます!
初級戦なら5手詰までですし、おそらく参加表明の締切延長されるでしょうし、少しでも興味のある方はぜひ!




4/3 追記
藤井四段の誤記の件で、13角行成の「行」がヌケていた、と書きましたが、日本将棋連盟のHPに記述がある正式な表記によると「行」ではなく「上」が正しいとのこと。その通りでした。また解答選手権速報ブログにあります模範解答も当初から「上」となっています。
ただ、慣習的に「行」と表記する場合も多く(僕は「行」派です)、採点に際してはどスタッフ間でも統一してどちらでも正解として扱ってありますのでご安心ください。
(そういうことを言い始めたら、実は「76歩」のように筋・段ともに全角の算用数字で書くのが連盟としては正しいそうですが)
2chでこの記事が引き合いに出されてツッコミを入れられていたので、取り急ぎの補足でした。

第313回詰工房&のんびり会参加記

もう半月以上経ってしまいますが、ブログ記事として残しておくのは大事かと思いますので……。

12月23日に詰工房に行ってきました。なんと半年ぶり。
大学のサークルの予定が月末の休日に被ることが多いので、なかなか行けないのが悲しいところです。

3時過ぎにきゅりあんに到着すると、恒例の春霞賞候補作のプレゼンが行われている頃合でした。安武利太さんの毎回の準備に尊敬です。
詳しい内容につきましてはBMTに載っているとおりです。たま研で一押しだった馬屋原作が選ばれました。十字飛車知恵の輪。初手と最終手のリンクがさすがです。
春霞賞候補作の選出とともに、パラ結果稿で安武利太さんが気に入った作品の振り返りも行われます。最近僕はほとんど作品を並べて鑑賞することがなくなってしまったので、こういう機会はありがたいです。

その後、将棋世界で懸賞出題されている若島さんの作品をいくつか、芹田さんやイキロンさんといっしょに解きました。

5時くらいにきゅりあんから撤収し、いつもなら二次会にいくところですが今回はのんびり会のために新宿へ。
幹事のオオサキさんから、店名と「来れますか?」の一言、そして出欠のGoogleフォームのリンクが貼られた超簡潔なメールが届いていたのでした。
誰が来るのかわからない中、店に集まったのは6名。しかし総帥の全さんと、オオサキさんもいない……!

先に乾杯としてお店自慢の手羽先を食べていました。
馬屋原さんがいつもどおり盤を出し、僕も久し振りに拵えた新作を並べたり。
途中から流さんも合流されました。
オオサキさんはLINEの既読もつかないので寝てるのかなとか修羅場なのかなとか話題になってました。桂花さんが幹事が来ないのは新構想だと春霞賞に推していました。
そんなこんなあり、去年のようにソシュールがどうとかいう哲学的な話はあまり出ないまま平和に終わりました。

僕とイキロンさんと馬屋原さんとTETSUさんで、適当にそこらへんの店で二次会をして、馬屋原さんが次々と旧作の短編を並べるのを解き、日付が変わったあたりで解散となりました。
微妙なタイミングで最寄りまでの終電は逃しましたが、のんびり歩いての帰宅となりました。皆さんお疲れ様でした。

深夜の第10回えび研参加記

裏短コン、締切まで1週間切りました。
たくさんのご投稿をお待ちしています。


10/29(土)、いつものえび研に行って参りました。
しかしながら、海老名への到着は終電でした。
大学のサークルで出す会報の、原稿締切が迫っていたので、ずっと執筆しておりまして……。

ジャージ姿のikironさんに駅まで迎えに来てもらって、同じく終電で到着の相馬さんと梁山泊へ。
僕が到着したときには、青木さん、馬屋原さん、Hiroさん、角さん、倉敷からおいでの小林さん、そして北浜先生がいらっしゃいました。
デパートへ投稿したり、肉饂飩子さんのおでんを食べたりしました。

もうあらかた皆さんの新作は出終わってしまっていたようで、短コン投稿作をぼちぼちと解図。僕もぼちぼちと在庫を見せたり。
北浜先生のお話はだいたいオフレコなので書けませんが。

3時を過ぎるとなんだか皆さん力尽きてきたようでした。
僕はここぞとばかり、仕上げなければならない原稿に着手 笑。
それが完成したのは朝10時頃 笑。
せっかく参加したのに、PCとにらめっこばかりしてて申し訳ありませんでした。

最後は青木さんのフェアリーを解図。フェアリーには疎い僕でも、解けたときは素晴らしい作品だなあと思いました。今回のえび研のベストです。(僕がいた時間帯では、の話ですが)

NHK将棋トーナメントが始まって、観戦していましたが、僕はこのあと大学で用事があったので、作品だけ並べて早めに失礼させていただきました。

今回の徹夜はまったく辛くなくてよかったです。
コンタクト外して行ったからでしょうかね?
次回からのえび研は、寝ないというスタンスは見直されるということで、いったいどうなるんでしょうね。

以上、簡易レポートでした。
最近なんだかんだ詰将棋をやれていないので悲しいです。

第10回たま研参加記 後編

民間の作品を家元が取り入れた具体例を見ていきましょう。
フラ盤の左下から選択して2作を比較できます。

不利先打


銀鋸


馬鋸


長手数


遠打


裸玉


煙詰


引き違い


四桂追戻詰



「同一の趣向」をめぐる考察
・模倣や剽窃という性格のものではない。
・アイディアは同一でも、完成度からすると「無双」「図巧」の側に軍配が上がる。
・偶然の一致という見方も可能であるが、詰将棋創作の最前線にいる将棋家が、民間作品を知らないというのも不自然。
・民間作品へのオマージュであるとともに、同じ土俵で創作したときの力量の違いを見せつけた「横綱相撲」?

これにて講義内容はおおよそ網羅できました。

僕としては古図式の知識がまったく貧弱で、伊野辺看斎などといった作者名にはほとんど馴染みがなかったものでしたが、(広い意味での)趣向の系譜を理解する上では非常に重要。
また、現代構想作家筆頭の方々が古図式の研究に打ち込んでいるということも踏まえて、詰将棋の体系的な理解に役立つものであることは間違いなさそうです。
詰将棋博物館のサイトで今や簡単に参照することができるので、時間のあるときには並べてみるのも一興でしょう。

今回の講義では時代の流れを幹として詰将棋の発展を見ることができました。たいへんな収穫といえると思います。
また講義最後の、マーケティング論と関連した将棋界の今後を見据える話も、コンピューターの台頭というまさに迫り来る事態にいかに向き合っていくかという指針が示され、特に我々の世代にとっては非常に興味深い内容でした。

ところで、以前スマホ詰パラについてTwitterで云々あったときのことを思い出し、講義を踏まえてこんな関係を考えてみたのですがどうでしょう。
日本将棋連盟=プロ集団ではあるが、それを活動の主体とするのではなく、むしろ意欲あるアマチュアに対するエンパワーメント策こそが将棋界の発展を推進するという論でしたが、ここで、
日本将棋連盟→詰パラおよび中心的詰キスト
アマチュア→スマホ詰パラおよび指将棋派
という置換を試みてみます。
とすると、詰パラ本誌に投稿するような作家は、スマホ詰パラの作品に必要以上に口出ししたり、ましてや敵とみなしたりするのではなく、そういった「詰将棋アマチュア層」に対するバックアップをなすべきである、という図式が見えてきます。
なんとも小さな世界での話ではありますが。
詰キストはなかなかに、「詰将棋アマチュア層」の作品に対してあれこれと口出ししがちかという印象がありますが、最近は僕はそのあたりに対してできるだけ静観するようにしています。
もちろん、大学の将棋部員に作品を見せてもらった、などという場合はいくらか改作のポイントを挙げる、ということもありますが。
詰将棋人口を増やしたいという理念の下に立つならば、我々がやるべきことは玉石混交の中に偶然によいものを見出したとき、内部に紹介する、または作者に詰将棋を勧めてみる、ということなのかもしれません。
スマホ詰パラを批判するのはお門違いというか、外部からそっと見守っておくのがよい関係なのかもしれませんね。
たまにいい作品が発表されていると本誌に出せよとなりますが 笑。

さて、たま研の続きを少し。
山川さんの講義の後は15分ほど休憩。第二部は角さんによる課題作紹介と、利波さんによる「作品を並べるだけ」コーナー。
たま研の講義は敷居が高い(大小詰物や豆腐煙プログラミングなどの回は特に難しかったとのこと、聴きたかった)という声を受けて、作品を紹介するだけならわかるだろうという発想で前回から二部構成になりました。
今回は、たま研第10回にちなんで古図式10番集。
古図式の中から第10番だけを抽出して50題集めたという、利波さんの苦労が忍ばれます。
薀蓄をはさみつつ順番にスタート。

なお、上の「遠打」の項で紹介されている無双ですが、これも第10番。取り上げられた際に、桂合位置の非限定について言及されました。
古図式をちゃんと並べていくと、意外なところでこういう側面が見えてきますね。

50題のうち最初に紹介された、初代宗桂の「造物」10番。

tsukurimono10.png

22飛、同角、53金、31玉、42金打迄の5手詰。
ところで2手目32香合は43金、同玉、53金迄で、妙手説に立つなら3手目も捨駒になるこちらが作意かもしれないところ。
ただし32飛合とすると、43金、51玉、52金打以下変長ですね。
……というのが今までの見解。各所でこのような解説が掲載されていたようですが。
実は32香合でも43金、41玉、32飛成、51玉、52龍迄の変長でした。
つまり「飛合されると変長」という解説は間違い。
なぜこのような勘違いが起きたかというと、初形で玉方33角が31銀である図も伝わっていて、なるほどこれなら飛合で変長です。
そこらへんがごちゃごちゃになってしまい、最初に解説した人が間違い、さらにその解説を引用したものが次々伝わってしまった、というのが利波さんの推測です。
教訓を言うならば、「古図式の解説の孫引きはやめましょう」とのことで。「ちゃんと自分の頭で考えてから引用しましょう」。

10番集、作意がまったく不明でぼろぼろに余詰んでいるものなど、利波さん自身も「目が腐ります」と言うくらいなので、さすがにそこらへんは省いてもいいように感じましたが、古図式研究の観点からはそれらも重要なのでしょうね。
中には「十」のあぶり出しもあり、めでたしめでたし。

懇親会はいつものお店で。山川さんといくらかお話しできました。
二次会以降は、若島さんも合流されましたが、ちょっと疲れてしまったので今回は遠慮しました。(前日まで自転車旅行していたので)

たま研は、30名以上もの詰キストが集まる、全国大会・解答選手権に続く詰将棋一大イベントです。
ぜひ皆さんご参加ください。

第10回たま研参加記 前編

お待たせしました。13日のたま研参加記です。
たま研は8月には講義、1月には新年会という名目で、毎年2回、町田において開かれています。
詰将棋のアカデミックな部分に触れられる数少ない会合なので、予定をやりくりしてなんとか参加できるようにしました。

今回の講師は東京富士大学教授の山川悟さん。スマホ詰パラでは世阿弥さんとして多数発表されています。
ブログ→ 不況になると口紅が売れる

僕が会場に到着したときには開始時間を数十分ほどすぎてましたので、本日の日程の連絡がちょうど終わって、講義に入るところでした。
では以下どうぞ。



詰将棋の歴史 在野棋士の果たした役割を中心に

山川と申します。

(幹事の利波偉さんから講義の依頼を受けて)最初はこういうメンバーの前で詰将棋の話をするのが場違いじゃないかと思いましてお断りしたんですが、「お断りできません」とのことで 笑。
(私が所属している)遊戯史学会の定例会が11/26に東京富士大学で開かれます。ご興味のある方は足をお運びください。
遊戯史学会では伝統的な遊びを中心に研究していますが、最近は「ポケモンGO」が話題で、今日も電車で一列の座席に座っている7人中3人がやってました。遊戯史学会としては対策委員会を作らなくてはいけないかと思うのですが 笑。

自己紹介させていただきますと、大学の教員となって8年。本来大学に来ると少しは自由な時間があるとのことだったので、「スマホ詰パラ」に投稿を始めたのが詰将棋界に戻るきっかけでした。
現在授業の傍ら、キャリア・学生支援センターで就職活動支援の仕事もしています。「就職に強い大学」というスローガンで西武線のラッピング広告が展開されているので、ややプレッシャーですが。
また、日テレの「鉄腕dash!!!」でTOKIOが生態系をつくるという企画がありますが、大学としてそれに協力しています。明日の8時からなのでご覧になってください。

本日ぜひ皆さんからサインをいただきたいと思って色紙をまわしています。
またスマホのアプリで「山川悟の詰将棋①~③」があり、チャレンジしていただけたらと。
私は研究家というわけでもないので、マニアックな質問には答えられないので、質疑応答の時間はぜひフリートークの場にしてください。
以下は、仮定・推論・想像が含む内容になります。

門脇芳雄さんによると詰将棋の歴史は以下のように進んできたとされています。
①草創期(江戸初期)
 ――初代大橋宗桂による幕府への献上図式のはじまり
②興盛期(江戸前期)
 ――家元たちによる難解作品の考案とルールの整備
③黄金期前夜(元禄~享保時代)
 ――二代宗印による趣向作開発と民間棋客の活躍
④頂点(「将棋図巧」「将棋無双」)
 ――伊藤宗看・看寿兄弟による「神局」の完成
⑤黄金期(享保~天明時代)
 ――宗看・看寿の影響による多数の作家の登場
⑥衰退期(幕末~明治大正時代)
 ――六代宗英による献上図式廃止、プロ棋士の指将棋重視
⑦復活期(昭和初期~現代)
 ――「詰将棋パラダイス」へのアマチュア作家の集結

今日は「草創期」と「黄金期前夜」の部分にフォーカスして、詰将棋はどのように変わったかということや、家元とアマチュアとの相互作用についてお話したいと思います。
利波さんには講義の後に、当時の作品を解説頂ける予定です。

まず草創期ですが、
もともと初代大橋宗桂は町人出身で、家康が京都に来たとき、地元の武士や町人・商人を集めて将棋大会を開催したときのホストとして諜報活動に協力していました。
「将棋所」という名称を使うと増川宏一先生に叱られますが(遊戯史学会の増川会長は将棋所<ウィキペディア>というものは存在しなかったという主張)、家康から一代限りの俸禄を貰い、それが将棋家のスタートとされています。
その後、将棋家が継続していくための最大の武器が献上図式でした。
山科言経(やましなときつね)という公家が、後陽成天皇が将棋好きだから納品しろと宗桂に命じ、それが端緒で「象戯造物」(1603)となりました。当時は公家と文化ジャンルの結びつきがあり、山科家=将棋のような形を作りたいと考えたらしいです。
これが結果的に、禁中(のちに将軍家)御用達遊戯の座を確立するエビデンス作りになりました。
これは推測ですが、当時は中将棋と小将棋が混在状態。そこで持駒使用の面白さを伝えようとしたのではないかとも思われます。また、囲碁と比べると下に見られていた将棋の地位向上にも寄与した。さらに詰将棋は、駒とともに献上するギフトの意味合いもありました。

初代宗桂の作品の多くは実戦形です。これらは自分の終盤での好プレイ集、つまりサッカーのエースストライカーがゴールシーンをDVDに撮って渡したようなものでした。宗桂は能楽の芸人家出身という話もきいているので、芸として将棋を捉えていたのかも。

なお、幕府が次の名人が決まったら必ず献上せよとしていたわけではなく、将棋家のほうで無理矢理伝統行事としてやっていたわけです。利波さんはこれを「将棋家からの送りつけ商法」と呼んでいますが、納品儀式は将棋家が幕府の幹部とコネクションを作る材料になったと思われます。
 

献上図式の果たした効能は以下の3点だと考えます。
① 献上策は将棋家継承の象徴として機能
跡継ぎが「技量未熟」という名目で禄高を半分にされることを防ぐ策となりました。高い技量の者が継承しますよという証拠になる。無論当時の禄高は50石ほどで、これは現代でいうと年間100~150万円くらいなのでほぼ暮らしていけません。ただ徳川家からの拝領地を活用した大家としての家賃収入があった。将棋家は、アパートをテナントとして貸して自分は5階に住むみたいな暮らしをしていたようです。
② 「戦う」競技ではなく、「創作」文化の礎を築く
指将棋は戦いに過ぎず、当時の庶民は賭け将棋。御城将棋も賭けがあり、闘鶏や相撲と同じような見方もありました。しかし詰将棋によって、作品を創るという文化を育んでいきました。元禄以降は神局と呼ばれる高度な作品が生まれたのは、ご存知のとおりです。
③ 詰将棋が庶民への普及や技術向上への教材に
現代でも使われる盤面の位置表記や「成」「打」「突」などの将棋用語は詰将棋から現れました。これによって棋譜が記録され、棋書刊行にもつながり、将棋普及への基盤ができたのです。詰将棋が絵馬として飾られて庶民の間で話題になったこともあったようです。

こうして詰将棋によって「創造する」「記録する」「学ぶ」「対話する」という要素が現れてきたわけです。献上図式が結果的に将棋界を発展させる妙手になったというのは、こうした理由からです。

なお、堀口弘治七段は「打歩詰は詰将棋のためのエクストラルール」という主張をされています。当初は駒余りの作品があり、最終手を規定するためという機能的な理由からです。

(同じような説を風みどりさんも提唱されています→「現代将棋」成立に関する一考察)

次に黄金期前夜です。二代伊藤宗印は大きく詰将棋を変えたといわれています。
もちろん伊藤宗看・看寿の父ですから彼らのインフラを作り出したと言えますが、創り方を大きく変えたのは、以下の3点だと考えます。
① 民間棋客の自由なアイディアの導入
当時出版が始まった、ある意味無責任だがユニークな民間棋客による詰将棋作品を取り入れました。かなり宗印の作品は基本的に理詰めで技巧的だが、技術を縦に堀り下げただけでなく、在野の作品を取り入れながら、芸の幅を横にも広げていこうとしました。
② プロダクション方式による集団創作
これは証明は難しいのですが、余詰検討担当、構想を練る者、収束担当など、創作作業を分業していたのではないかと。漫画のさいとう・たかをプロみたいなものです。このころから、複数の人による創作コミュニティによって創られていったのではないかと思われます。
③ 逆算技術の導入と確立
宗印が初というわけではありませんが、逆算が使われた作品が多いのも特徴です。この技術は、のちに看寿の煙詰を生み出す基盤となります。宗印が「近代詰将棋の祖」と呼ばれる所以です。

「趣向」については、その定義はなんとも言えないんですけど、五代宗桂から二代宗印の時代に趣向的な作品、広い意味での遊び心に溢れる作品が出てきました。宗印自身は実戦型ではなく、中段玉の作品が圧倒的に多い。北村憲一さんによると、初形の桂香配置は宗桂45%→宗印は0%とのこと。

これは、当時のアマチュア作品の良い面を取り入れた結果ではないかということです。これが今日の問題提起です。宗印自身はそこまで趣向は作っていないが、「将棋勇略」ですと以下の様なものがあります。
・「双方不成」(76番)
・「左右対称曲詰」(91番)
・「銀歩趣向」(35番)
・「遠打」(27番)
「将棋精妙」はほんとに宗印が作ったかという疑問はあるものの、不成100番はそれ自体が趣向かもしれません。逃れ図式なんていう面白いものも作っています。
・「龍追廻し」(96番)
・「逃れ図式」(99番、100番など)
このうち勇略35番27番は「洗濯作物集」(アマチュアのアンソロジー)に添田宗太夫作として紹介されているのは有名な話です。門弟である彼こそが、宗印のゴースト作家だったといわれています。
いずれにせよ遊戯性・テーマ性をこの時代から家元家も積極的に取り入れていき、宗看・看寿につなげていったともいえるでしょう。

ところで実は先日、その伊藤家の墓参りに行ってきました。場所は押上から10分、本法寺というお寺にあります。けっこうボロボロもいいところで、お墓は放置状態です。東京にある家元のお墓は伊藤家だけですし、詰将棋をやる者にとっては伊藤さんたちにはお世話になっているので、毎年たま研をやる前に足を運んでみては 笑。ちなみに墓石に将棋の駒があります。
(ブログ記事→二代伊藤宗印の墓参りとスカイツリー)

民間の詰将棋作品集は、元禄→宝永→享保の時代に突然現れ、これだけのものが伝わっております(リストで12編)。初期の「近代象戯記大全」には盤面の四隅に詰物が配置された作など10作が収録、また「素庵作物」は当時のアマチュアのアンソロジーです。

もちろんそれ以前にも作られていたとは思いますが、なんでこの時代に民間の詰将棋集が突如出版されたのかというと、ひとつは製版技術の向上で、20年間で書籍そのものの発行部数が4倍になったという記録もあります。また重版累版禁止令のために(過去の焼き直しではなく)新しい作品へのニーズもあったかもしれません。とにかくこの時代(17世紀末~18世紀中頃)にアマチュアの作品が流布し始めました。

伊野辺看斎(いのべかんさい)
「象戯手段草」(てだてぐさ)とは、旗本の土屋好直の名前で出した本です。民間人が勝手に本を出すことはできなかったので武士の名前で出しました(1724年)が、著者の実名を出さないといけないという理由で発禁になります。しかし、清涼詰、飛先飛歩、四銀詰、銀鋸、無仕掛、龍の追廻し、四桂詰、左右対称など、現代の詰パラにも入選するくらいの水準で、最初にスポンサーがついた詰将棋作家です。

添田宗太夫
湯川博士さんの「伊藤宗印伝」という本を読むと、宗印の養子として伊藤家を次ぐという意志をもっていたとされています。しかし伊藤家に男子(印達)ができたのでやけ酒に走るというシーンも描かれています。
「象戯秘曲集」で全局が曲詰なのはわざとそうしたのかも知れません。つまり自分自身の作風を示さず、あえて曲詰とすることで宗印の代作者であることを表明しなかった?ということです。

久留島喜内
鳴海風さんに「美しき魔法陣」という本がありますが、その主人公です。天才数学者・大酒飲み・権力にへつらわない魅力的な人物で、時代劇の主人公としてもいいくらい。
作風にはテーマをミニマムな仕掛けで描くという、数学者としての美学が見られます。恐らく死後ですが、2つの作品集が出ています(「将棋妙案」「橘仙貼璧」←「かべ」ではなく完璧の璧)。

无住僊良(むじゅうせんりょう)/宥鏡(ゆうきょう) 同一人物?
「洗濯作物集」に関与した洗濯周詠(せんたくしゅうえい)も同一人物かといわれています。彼は、民間に伝わっていた詰将棋をアンソロジーしたという意味で多大な功績があります。収録した作品は玉石混交で不完全作・駄作も多いのですが、歴史的な意義があります。

これ以降は 宗印・宗看・看寿の次世代となるが、あと二人。

桑原君仲
五段を与えられたが固辞したという謙虚な人格者ですが、賭け将棋で全国行脚した側面もあります。江戸時代のアマチュア棋客には賭け将棋という手段があったが、詰将棋を使って指導料をとるとか、そんな生計の立て方もあったのかも知れません。それはどなたかにご研究いただきたいですが。
この方が詰将棋の名手であったため、六代宗英は「詰将棋なんて君仲でもできるではないか」ということで献上図式を廃止しました。相当君仲を嫌っていたか、あるいは家元家がもう幕府の力を借りなくてもいいくらい安定したか、でしょうか?

十代将軍 徳川家治
徳川将軍の中ではいちばん知名度が低いが、詰将棋作家の中では知名度が最も高い人。田沼時代の将軍で、政治には手を付けさせてもらえず、絵画と将棋に熱中しました。
九代宗桂の「将棋舞玉」に似た手筋が「攷格」にもあったりと、当時の家本家の協力で「象棊攷格」をまとめたとされています。完成後に大層なギャラをもらったという話もあります。

一般の人がスポーツ新聞で見るような詰将棋とは違って 詰将棋には構想やテーマという趣向が存在し、それがいろんな発想を生み出す源泉となっていきます。その発祥のいくつかはアマチュアにあり、家元がうまく取り入れて宗看・看寿につなげていきます。
その事例をいくつか紹介します。

不利先打、銀鋸、馬鋸、長手数、遠打、裸玉、煙詰、引き違い、四桂追戻詰
(この具体例の部分は長くなってしまうので別記事に回します。フラ盤で並べられるようにしておきます)

家元はあまり曲詰を作りませんでしたが、曲詰の引き違いなんかは 民間発ではあるが自分が作ればこんなもんじゃいと力量を示したものかと思われます。
なお曲詰は、詰め上がりが文字になりインパクトがあるのと、「これが正解」であることがわかりやすく、当時の普及に大いに役立ったのではないかと思っています。

ところで宥鏡の「勇士鑑」(ゆうしかがみ)を1729年、発禁に追い込んだのが三代宗看です。つまりこれは、当時の家元が民間の作品を意識していた証拠です。洗濯周詠と宥鏡が同一人物であるとすれば、家元は彼には恨みがあったはずです(洗濯作物集に宗印作が添田作として登場していた件)。
ただ、どうもけしからんとアマチュアのやっていることを家元が抑圧するという姿勢は、普及に関しては足枷になります。素人が自由にやっていることに対して、プロが口出ししてはいけない、ましてや邪魔をするなどはもってのほかというのが私の説です。自分たちならもっとうまく作れると示していくのが本来の彼らの仕事なのではないかなという気がしています。

なお「プロダクション方式」については、何ら証拠も残っていないので証明はできませんが、作品からの推定となります。
宗印の「勇略」100作のうち、43作は同じようなパターンでできています。
▼導入部
中段での空中戦、大駒乱舞、豪快、パワー、見栄え、演出、実験
▼収束部
四隅での地上戦、小駒の技、華麗、テクニック、味わい、計算、仕立て
これらは別のプロセス・別人・別のタイミングで作ったかという気がしないでもない。
序盤の数ラウンドでダウンを奪ってそのあと15で勝つというスタイルですが、クラシックの交響曲のような作為的な組み立ても見えてきます。

以上を相関図にすると以下のとおりになります。

●初代大橋宗桂(献上図式開始)
 ●二代大橋宗古
  ●初代伊藤宗看   ↓↓
   ●五代大橋宗桂  ↓↓創作文化の礎

↓↓↓民間作品集の影響↓↓↓
―――――――――宗印中心の創作コミュニティ
●二代伊藤宗印(近代詰将棋の祖)

添田宗太夫(代作者?)・伊野辺看斎(影響?)

 ●三代伊藤宗看「将棋無双」
 ●伊藤看寿「将棋図巧」
――――――――――頂点
   ↑↓
久留島喜内(影響?)
桑原君仲 ←不仲?→ ●六代大橋宗英(献上図式廃止)


献上図式廃止に伴って詰将棋は冬の時代を迎えたという話もありますが、明治期にマスメディアの確立とともに復活します。「有喜世新聞」が「象戯力草」41番を掲載したのを皮切りに(ただ編集者の知識不足で表記ミスで不詰でしたが)、「サンデー毎日」に木見金治郎作、それ対抗して「週刊朝日」が阪田三吉の詰将棋を載せるなど、大正時代は詰将棋のひとつの復興期となりました。

それ以降の話は、皆さんのほうがよくご存知ですね。

宗桂の中には芸能としての詰将棋という意識が強かった。宗印は技術的に深めようとしましたが、同時期に民間の方からもさまざまな作品が登場します。そこでそれらの面白み、エキスを取り入れて趣向作の基盤を作り出し、それは現代の詰将棋にも引き継がれています。詰将棋は家元家だけが作ってきたわけではなくて、無名有名な民間人が自由奔放に創作した作品群により、大きな転換を迎えたのです。

私自身は詰将棋研究の人間ではなくて むしろマーケティング専門なので、それらを踏まえたうえで、最後に将棋・詰将棋の普及に対する方向性をお話したいと思います。
将棋連盟はプロ棋士集団であり、質の高い棋譜を残すことがアマチュアへの模範になるという立場です。そもそも「普及」という概念がそうですけど、トップダウンで裾野を拡大することが大事で、経済フローとしては最終的に棋士にリターンされるという視点があります。しかし今やコンピューターに負けるわけですから、そのスタンスも怪しくなっている。そこで「プレイヤー」という定義をしなおさなければいけません。専門棋士=プレイヤーでいいのか、ということです。むしろ真のプレイヤーはアマチュアであり、自分たちがプレイするのではなく、アマのプレイを後押しする・認める・広める…というエンパワーメント策こそが、活性化につながると考えています。

マウンテンバイク・パソコン・料理・旅行などの領域では、ユーザーによって自発的に運営されているコミュニティがあって、そこから生まれてくる商品アイデアなどが大きな意味を持ってきています。「クラブツーリズム」などでは、旅行のベテランたちが自らユニークなツアー企画をつくり、新しい参加者を集めてくるという構造になっていたりします。
今やユーザーコミュニティから商品開発の新しいイノベーションが生まれてくるというのは常識であり、コミケやボードゲームなんかもそうした形になりつつあります。
もっと言うとユーザー側がプレイヤーとなって、それを周辺の素人に勝手に広めることで拡大していく。まさに「たま研」でやっていることではないか、と思います。
ただ、パソコンであればメーカーはユーザーコミュニティに口出ししてはいけないし、そしてお金を出してもいけない(スポンサーになってしまうから)。特にアマを商売敵としてとらえるのがいちばんまずいわけです。なぜなら、主体的なアマを攻撃すれば、ライトユーザーたちが付和雷同して企業のほうについてしまい、それこそ裾野拡大にならないからです。
では何をするかといえば、場を提供する、求められれば助言をする、活動を紹介するといった、つまりは陰に隠れた支援をするべきなんです。自らが主体となってあれこれと働きかけるよりも、アマチュアプレイヤーを中心とするコミュニティを支えるほうがうまくいくということです。
このように、在野でも主体性があり、その分野を生き甲斐としている人達を支援していくというのが現在マーケティングにおける考え方のひとつです。これからの日本将棋連盟は、アマの中間層による自発的活動をもっと支援していかなければいけないと思います。その構図が詰将棋の歴史を見ると鮮明に見えてくるわけです。

まとめ
・将棋を「知的文化」に変えたのは詰将棋
・現代の詰将棋の礎は宗印がつくったが、当時の民間作家の影響が大きかった
・意欲の高いアマチュアこそ、真のプレイヤー



お疲れ様でした。
本当は僕のメモをもとにそのまま掲載するといういつもの方法で記事にしていたのですが、なんと山川さんから訂正原稿をいただき、より理解しやすい文面に修正いたしました。
お手数かけまして申し訳ありませんでしたということと、この場を借りて感謝も。

とりあえず今回の記事は長くなってしまうのでここまでで、また後日、次の記事をアップします。(たま研その後のことと、民間作品を家元が取り入れた具体例の部分)
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About
my cubeへようこそ。詰将棋のブログです。駒を並べてアートが表現できるって素敵なことじゃありませんか? 詰キストの方もビギナーの方も楽しんでいってください。

Author:鈴川優希
主に月刊誌「詰将棋パラダイス」に作品を発表している詰将棋作家。東京在住の学生です。詰将棋は小学生の頃から作り始め、2009年5月に詰パラ初入選。2015年12月に最年少同人入り(入選100回)。小~院すべての詰将棋学校で半期賞受賞経験あり。2016年4月より詰パラ連載「ちえのわ雑文集」の世話役に就任しました。原稿随時募集中です。

裏短編コンクール
2015年(第n回)・2016年(第φ回)に開催。使用駒数11枚以上、タイトル必須という条件で募集した作品を出題し、解答者に評価してもらうという企画です。結果発表はニコ生で行いました。作品の結果稿はブログ右袖のカテゴリーからご覧いただけます。なお、この裏短コンはほっとさんのブログ「詰将棋考察ノート」に受け継がれました。

今週の詰将棋・
詰将棋ウィークリー

今週の詰将棋は2009年7月からの2年間100題。詰将棋ウィークリーは1012年3月からの50週は幻想咲花さんとのコラボ、それ以降は鈴川単独の出題で2014年3月まで、#100をもって終了しました。解答していただいた方に感謝します。
※81puzzler閉鎖につき詰将棋ウィークリーの記事にはリンク切れが多いです。

解付き出題
自作を解付きで並べていくだけ。現在#120をもって休止中。在庫整理の意味合いが強いので質より量です。

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