詰将棋の良し悪しと難易度

数日前に、このブログで詰将棋の良し悪しと難易度の関係について僕の意見を書きましたが、Twitterでいろいろと反応があったので、ここにまとめておきます。

まずは、「易しいけど楽しい」という評についてです。褒め言葉だと受け取ることができますが、実は、ある方が指摘された通り、「けど」という逆接の助詞によって、易しいことそのものが否定的に捉えられているニュアンスを含んでいます。
ほとんどの解答者、作家、そしてこのブログを見ている方々は、作品の難易度と良し悪しが比例する、という考え方は正しくないと認識していると思います。

そこで、この言い方をどのように変えれば良いか、です。難易度と良し悪しは全く関係がない、と考える方は、「易しいし、楽しい」「易しい上に楽しい」などと表現すると思います。
しかし僕は難易度と良し悪しが密接な関係にあると思っています。その作品のテーマによって、易しいほうが狙いがストレートに伝わって楽しかったり、難しいほうが数ある微妙な紛れの差異から正しいものを選び抜いていく楽しさがあったりするからです。
したがって、「易しいけど楽しい」という表現も適切だと思います。例えば、この紛れ筋がもっと強力なら、作意が引き立って楽しくなるのに、という具合です。

ちなみに、僕が目指す詰将棋は、「易しいからこそ楽しい」と感じられる作です。これは、変化紛れがほぼゼロに近かったとしても、テーマ自体が作意に現れているため、ダイレクトに楽しさが伝わるものです。詰将棋初心者でも、鑑賞専門の方でも、作意手順を見れば狙いが伝わります。
全ての作品は易しければ良い、ということではないです。ただ僕は易しいほうが楽しさが伝わるようなテーマを理想としているのです。

問題は、「易しい」「楽しい」作品(あえてこういう表現にしておきます……。)は、後世に残りにくいことです。深い変化紛れを備えた作品や斬新な構想作には、看寿賞や半期賞が与えられ、僕もある程度は知ることができます。しかし、過去の「易しい」「楽しい」作品を知る手段は、ほとんどないと言ってもいいでしょう。
そこで、このような作品に対して与えられる新しい賞の設定、もしくは定期的な作品集の発行などが望まれるところです。
難しい作品よりも、「易しい」「楽しい」作品のほうが、詰将棋の啓蒙にも大いに役立つと思います。


ではここで話を変えて、デパート担当さんの意見を紹介します。(以下、Twitterからの引用)

結論から言うと、僕はやっぱり難易度は詰将棋に重要な要素とは思えない。

まず、テーマに伴うある種の難解性と単なる煩雑さとを整理しておく必要がある。世の中には、紛れと作意の差をテーマにしている作品もあって、たぶん鈴川君が「楽しさを引き出す難易度」としているのはこっちのことだろうと思う。しかし、解答者の評価では両者はほとんど区別されていない。

解答者の論理では単に「苦労して見つけた作意ほど良い手順」であることが多く、それがパラの作品発表の基準をゆがめていると感じる。すなわち、内容は優れているのに、変化紛れ(多くの場合、それは煩雑であるにすぎない)に乏しいというだけで発表の場がない作品がたくさんあるのだ。

僕はデパートの担当になるとき、そうした解答者の論理では評価されない作品を掬い上げたいと考えたし、それを一つの使命とも思った。だから僕が解説に「難易度は副次的でどうでもいい」と敢えて挑戦的に書いたのは、一つにはそうしたデパートの運営方針から来る戦略的な理由だ。

もちろんそうした計算とは別に、これは僕の本音でもある。自明なこととして、詰将棋は内容が第一である。その内容を引き立てる要素が精巧に組み立てられているとすれば、それは意図された「別の内容」なのであろうと思う。このことと、単に複雑であることによる難易度とを混同しがちである。

僕はそうした複雑さが詰将棋においてまったく本質的でないと言ったのであって、結局鈴川君と同じ立場に立っていると思う。ただ「易しいからこそいい」というのも、少し踏み込み過ぎではなかろうかと思う。というのも、目指す内容に必然的に付きまとう複雑さというのもあるからである。

僕は優れた作品というのは、素材が導く通りに過不足なく作られた作品であると考える。この素材の段階で、絶連になるものとどうしても複雑になることを避けられないものがある。これを作者の都合でコントロールしようとするのは最善形の追求から遠ざかることだと思う。

結局、素材の完成を目指すなら、難易度のコントロールなんて完璧にすることはできない。難易度は内容を追い求めた末に偶然得られる結果なのであって、それは副次的な要素としか言いようがないと思う。だから僕は順接でも逆接でもなく「易しいし、楽しい」と並列で語るしかないと考える。

(引用終わり)

詰将棋を単純な逆算で作っていく時、僕は「駒取りはできるだけ避ける」「追加の配置はできるだけ避ける」ということを念頭に置いています。逆算の飽和状態に達した時は、とりあえず仮の完成図を作っておいてから、この2条件を破ってもう少し粘り、巧い手順が入らなければそこで終了、とします。
その際に、「難易度」にも少しだけ気を配ります。上の2条件を満たしてはいるものの、その詰将棋に相応しくないような難しさを引き起こす逆算は、場合にもよりますがしません。
もちろんその他にも、「形」「持駒の数」などのさまざまな要素を考え合わせて、最終的な完成図を求めるわけです。

デパート担当さんの意見は、最善形を探すこの過程において、「難易度」の要素を考慮しない、という立場だと思います。「その素材が導く通りに過不足なく作られた作品」と言われると、確かに「難易度」は出来上がった後に勝手に付いてくるものだとなりそうです。
しかし僕は「難易度」も推敲の過程で考慮したいです。詰パラでは短評をもらえるのは他でもない解答者ですから、解いた時の感想は、難易度に大きく左右されると思います。

Twitterでは、「難易度」自体が、作家視点と解答者視点で二つに分けられる、という意見も出ていました。「作者の言う簡単ほど当てにならないものはない」なんてこともよく言われます。
僕は、難易度は解答者視点で見るものだと思います。難しいかどうかは、実際に解いてみないと分からないです。僕は、自分で「易しい」と思っていた詰将棋を、解答者に「易しい」と言ってもらえると安心します。(ちなみに、作者が「難しい」と思った作品は、解答者は「非常に難しい」場合がほとんどです。)

それでは鑑賞者視点ではどうか……などと考えるといよいよ混乱してくるので、このあたりでやめておきます。

デパートでの「易しい」「楽しい」作品を、期待しています。他にももっと発表場所が増えればいいのにと思っています。

うーん、締まらない文章になってしまった。(笑)

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No title

最近いろいろなところで出てくる「難易度」ですが、絶対的な難易度っていったいどういった定義なんだろうと思います。正確には「私にとっては解き難かった」が正解で「私にとって解き難い作品は誰もが解き難いに違いない」という考え方はどうかと思います。個人的には、正解者多数で3、5手なのに中々見えないときもあれば(かめぞうさんの尻金等)、解答強豪が中々見えない二十数手(解答選手権後半の1番など)が数分という経験も会合などで多数しておりますので、人の考える「難易度」なんてとてもいい加減なものだと思っています。自作でも時折難易度云々と書かれてる時は正直そこかなぁと思ったりすることがありますし。まぁ解説も短評も特定の方以外のものは全く気にしていないのでどうでもいいんですが。纏まらない文ですみません・・。

No title

難易度の定義などないでしょう。でも、一般的に難解な作品というのは、「解き難かった」と感じた人数を、全解答者数で割った値が1に近いのは確かかと思います。(数値で難易度を表すのもどうかと思いますが)

易しい作品の必要性

僕はデパートは何でもありであって欲しいと思っています。
そしてその上で易しい作品しかダメと言うコーナーの設立を望んでいます。
「易しいほうが楽しさが伝わる作品」を集めたコーナーが絶対必要だと切々に訴えた長文を編集部に投稿した事があります。
余りの長い文章だったので読者サロンには載らないと思ってはいましたが。
易しくても鑑賞に耐える作品を創るのは、難しくて評価の高い作品を創るより難しい事だと僕は思います。
易しい作品コーナーを設立しても、易しくて鑑賞に耐える作品ばかりを集めるのは至難かも知れません。
だけど現在は空前絶後の作家黄金時代です。
昔ならそこそこの作品は採用されましたが、現在は発表価値のある作品が返送される時代です。
僕は詰パラに新コーナーを作ってもらうのは、今二番目の目標です。
尚、一番目は秘密です。

No title

早速のお返事有り難うございます。ただ、「解き難かった」と感じた人数を、全解答者数で割った値が1に近いのは確か、という部分はどうかなと感じました。確かに全解答者の共有して知っている手筋等にばらつきがなければその意見は成立すると思うのですが、実際には相当生じていると思います。ですから難解性についての感じ方は個人間で相当違うと思われるのです(まぁそこが面白いところでもあるのですが)。結局真の解答のスペシャリストは、正解手順しか読まないですし(51手詰なら51手のみ)、詰将棋の神様は作意はもちろん全ての変化紛れも(無限に近い数であったとしても)解答されるのではないかと思っているのです。ですから「難解であった」ということは自分から進んで変化紛れに向かっていき、正解手順の発見が遅れた(作品をより鑑賞できた)ということになるのではないでしょうか。私が解答するときは、正解手順を見つけた後の鑑賞、短評に重きをおくようにしています。創作も解図も鑑賞行為の一部であると思っていますので。

No title

>三輪さん
>易しくても鑑賞に耐える作品を創るのは、難しくて評価の高い作品を創るより難しい事だと僕は思います。
同感です。難解な作品は、コンピューターを用いることによって作る敷居が低くなりました。ただ、かつ評価が高いとなると、もちろん作家の腕が問われます。(まあしかし、超難解作なら解答者数が少ないため、評点においては高くなるでしょうね)
易しい作品に限らず、発表の場所を多くすることは望ましいです。それも、解答競争の場としてだけではなく、改作を募集したり、同じテーマを二人同時に出題して比較したりなど、新しいスタイルも面白そうです。

>変寝夢さん
個人としての難易度を考えれば、おそらく変寝夢さんのおっしゃる通り、正解手順の発見が遅れたということが指標となると思います。しかしいわゆる「難解作家」と呼ばれる方々は、一般的に変化紛れの多さが関わっていると思います。盲点を付くような作品ばかりを作る方がいたとしても、「難解作家」とはおそらく呼ばれないでしょう。
>正解手順を見つけた後の鑑賞、短評に重きをおくようにしています。
作り手にとって、自作を鑑賞してもらえることは、これ以上ない喜びだと思います。創作も鑑賞行為の一部だという考え方は、これまで浮かびませんでしたが、なるほど面白いですね。
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my cubeへようこそ。詰将棋のブログです。駒を並べてアートが表現できるって素敵なことじゃありませんか? 詰キストの方もビギナーの方も楽しんでいってください。

管理者:鈴川優希
月刊誌「詰将棋パラダイス」を活動拠点とする詰将棋作家。石川県のド田舎育ちですが、大学進学とともに東京へ。詰工房などの会合に顔を出したり、解答選手権などのイベントを運営したりしてます。詰将棋は小学生の時から作り始め、2009年5月に詰パラ初入選。2015年12月に最年少同人入り(入選100回達成)。半期賞受賞6回。2016年4月より詰パラ連載「ちえのわ雑文集」の世話役に就任。現在、第一作品集を執筆中。出版は今夏を予定していましたが果たして……。

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2015年11月に開催した企画で、7手詰を募集して17作を出題しました。45名もの方に解答していただき感謝です。順位発表はニコ生で放送するという新しい試み。

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難解? 複雑? そんなものとは無縁な「易しいからこそ楽しい」作品を紹介していく連載です。不定期更新。

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自作を解付きで出していた企画で、現在#120をもって休止中。在庫整理の意味合いが強いので質より量です。

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今週の詰将棋は2009年7月からの2年間100題。詰将棋ウィークリーは1012年3月からの50週は幻想咲花さんとのコラボ、それ以降は鈴川単独の出題で2014年3月まで、#100をもって終了しました。解答して頂いた方に感謝します。
※81puzzler閉鎖につき詰将棋ウィークリーの記事にはリンク切れが多いです。

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