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それでも古時計は動いている

前記事、田島秀男作401手の続きといいますか、こちらが本編といいますか。

田島秀男氏はこれまで数々の名作を残していますが、その中に「古時計」があります。
1989年6月に発表された長編作。しかし原型復帰型無駄合が絡んだ「変長」のレッテルを貼られ不完全扱いとなってしまいました。
詰キストならたとえ長編に興味はなくても知っておかなければいけない作品。しかし、ネット上をいくら探しても、解説どころか図面さえも載っていない。
これが、このブログで古時計を取り上げたいと思った理由です。

古時計の発表から10年余り経過した詰パラ2001年3月号。とある論文が誌面に掲載されました。
『古時計は回りはじめた』安江久男
これは、それまで不完全とされていた古時計が本当に不完全作であるのかを考察したものでした。そして掲載されたその翌月から、読者サロンにてたくさんの意見が続き、古時計の奥底に迫っていきます。
そこでこの記事では、この論文を追って、古時計の作品とそれに付随する議論を紹介したいと思います。
原型復帰型無駄合そのものに関する議論をこのブログで行うのとは趣旨が違うことをご理解ください。

論文や意見そのものをまるごと掲載するのは著作権的に怪しいので、序文および結論部分だけの紹介と、そして僕の注釈も入れていきます。



大きなのっぽの古時計
おじいさんの時計
百年いつも動いていた
御自慢の時計さ
・・・・
今はもう動かない
その時計

「古時計」と言って誰もが思い浮かべる名曲ですが、詰キストにとって忘れられないもうひとつの名局が、詰パラ四百号記念イベント「詰将棋博覧会」に寄せられた田島秀男さんの作品です。
しかし、「おじいさんの時計」のように百年動くことはありませんでした。
〈変化長不完全〉それが『古時計』の時間を止める言葉でした。
はたして本当にそうだったのでしょうか。
あれから十年余り、私たち「蜜の味グループ」で無駄合の話が出た折りに、ふと、この作品を思い出し、見解を求めてみました。
「・・・・それはさておき、果たしてこの変化長裁定に至った議論(後述)におかしな点はないのでしょうか?」
なお当時のメンバーは、岡崎正博、金子義隆、森田銀杏、山田修司、湯村光造の各氏と私の6名。現在は巨椋鴻之介さんが加わっています。
意見を交わしてみると、「問題の変化を作品のキズと感ずる人もいるだろう・・・・」という発言はありましたが、当時不完全とされた本局に、全員が変化長とはみなされないとする見解で一致していることが分かりました。
裁定とは正反対の結果になったわけです。
そこで、あらためて『古時計』の作意と、不完全裁定に至った経緯を紹介し、併せてこの名作の失地回復を図るべく、説明を進めていきます。
本稿をお読みいただき、読者諸兄の賢明なご判断を仰ぐものです。



まずはとにかく、古時計の図と作意を並べてみましょう。

furudokei-p.png

こちらは発表図。後に改良されており、今回はその改良図のほうで話を進めていきます。



ご覧の通り、最近の田島作と比べれば、構造は非常に明快。
5筋6筋をくるくると回している間に、持駒が歩4→香4→桂4と変化していきます。
歩から香になるところは解説は必要ないでしょうね。ただ追い手順中、最初の1回転は48手目52玉、41飛成、53玉、43龍とよろける手順が入ることに注意。香が1枚でも持駒に入った後は、52玉のときに53香~41飛成で早詰です(原図と比べて59歩があるのでこの4手が伸びた)。
また4回転目は、80手目53飛合が利かなくなります。詳細は分岐参照ですが、「桂を1枚でも持った状態で75香が打てれば詰み」と覚えてください。
そしてこの機構により、香合が品切れになった後は桂合が続きます。その途中に玉方に香を渡すにも関わらず、再び香合されて千日手に陥らない理屈は、75に利かせることが鍵になっていたのです。
持駒が4桂になれば、もう75に利かせる桂合が品切れになり、53香合から収束に入ります。短編のように切れ味のいいまとまりで、解答者からは絶賛の嵐でした。



完璧としかいいようのない傑作です。
解説の上田吉一さんが、異例とも言える5ページを割いて詳細に解説されたのもその表れだったでしょう。
ところが結果発表翌月、本局に「変化長ではないか」と小沢正広さんから疑問が寄せられます。



問題となったのは、166手目65玉の変化。
玉方の香が尽きるまでこの変化を選び続ければ、手数が大幅に伸びます。
解説ではまったく触れられなかった部分で、これに対して作者は、「65玉は前の63香合を無駄にさせる手」だと主張します。
158手目の63香合自体はもちろん無駄合ではないのですが、玉方が65玉とすることによって無駄合になってしまうということ。
だから「無駄合はしない」という詰将棋のルールに反するので、65玉は「選択肢にない」という理屈。

なんだかこのフレーズ、聞き覚えがありまして……。
以前このブログで書いた、このセカイに意味はあるかに登場した理論です。
こちらの例題ではただの無駄合についての議論でしたが、古時計では、それに関して原型復帰型という厄介な問題がついてまわっているのです。

古時計が変長であるという小沢氏の指摘と、作者の主張。これを併記した上で、当時詰パラを引き継いで間もない柳原編集長は、「作者の理論にはかなり無理があり、本局は不完全扱いとします」と断を下しました。
これに作者は反論をすることもなく、名作がひとつ、闇に葬られました。
その古時計の針を再び回し始めたのが、この安江論文。安江氏は論拠として、「象戯大矢数」の巻頭局を持ち出します。



1697年刊の作品集、「大矢数(おおやかず)」。作者(編者?)は无住僊良(むじゅうせんりょう)。
「百之外」「百手四度戻り」などと別名も多いこの作品、馬鋸の一号局です。
18手目に72歩合とすると、歩が尽きるまで手数を伸ばせる、いわゆる原型復帰型無駄合含みです。
明文化すると、「その後詰方の持駒が増えるだけで、同一局面に還元する応手は無効」となります。
当時でも、馬鋸における原型復帰型無駄合は、無効とされていました。

安江氏は、「心得べきは、〈無駄な応手〉であって〈無効な合駒〉では本来ない」と主張します。
したがって、古時計の65玉は〈無駄な応手〉として無効とされるべきだ、と。
原型復帰型無駄合と本質が変わらない手だということです。

以降、再び安江論文の抜粋。



作者はこれを主張するのに、従来からの無駄合の概念だけで応じたため、論旨に明快さを欠きましたが、噛み砕いて読んでみれば作者の主張されていることは同じ、決して「無理な理論」ではありません。
メールによる意見交換の中から、本局発表当時休眠に入っておられた山田さんの発言を引用させていただきます。
(山田修司)
『この作で問題になる65玉の応手は、その後詰方の持駒が増えるだけで、局面や詰手順の展開に本質的な変更や影響を与えませんから、手数の引き延ばしを計るためだけの応手です。
玉方は最長手順に逃げるということから言えばこういった応手も充分意味はありますが、我々は、玉方の駒がなくなるまで単なる手数引きのばしを繰り返すだけの手は無効な応手、或いは無意味な応手としてきました。
大矢数の72歩合を無効な応手と位置づけ、これを無駄合と称して廃することにしたのはその表れです。
大矢数の72歩合と古時計の65玉を比べると片方は合駒、片方は合駒でないという風に形を変えていますが、全く同じ効果や意味を持つ応手です。
従って、我々が「最長応手」の考え方から、手数を引き延ばすためだけの応手を外そうと考えている以上は、この作も馬鋸の無駄合が利く型と同じく、完全作とみなすのが、公平であり筋の通ったものの見方と思います。
従来、馬鋸にそういった疑問がでなかったのは、単に見慣れているからに過ぎません。
古時計のようなケースは多分初めてでしょう。その点だけでもこの作は大矢数の馬鋸同様、歴史に刻まれる価値がありました。
慣習にないことから、違和感を感ずる人はいたとしても、それをもってこの名作を闇に葬ることはなかったと思います。作者本人の説明は、「65玉は158手目63香合を無駄にさせる手」というように63香合が結果的に無駄合になるという迂遠な言い回しですね。
(鈴川注:古時計は185手詰から189手詰に改良され、本稿では改良図で説明しています。したがってここで引用した「158手目63香合」は162手目のこととして解釈してください)
馬鋸の72歩合の繰り返しがダメなのは「無駄合」だからダメなのではなく、手数を引き延ばす以外に意味のない応手だからダメなのであり、それが合駒だから「無駄合」と名付けられているに過ぎないのです。
合駒するのも別の位置に逃げるのも、どちらも玉方応手の一種であることに変わりはありません。
ですから作者の反論は65玉の応手そのものがダメな手だ、と主張した方が良かったかも知れません。
小沢さん、柳原さんにはもう少し柔軟に考えて欲しかったと思いますが、今までなかった型ですから田島さんの言い分を素直に肯けなかったのは、無理もないところはあります。
田島さんの説明は間違いではないと思いますが、分かりにくかったのかも知れません。
また、まわりの詰棋人は一体なにをしていたのか、といった義憤も感じます。当時の詰棋界に、このことを柔軟に判断できる人がいなかったとは思えませんが、何故、田島さんの応援に廻る人や関心を持つ人がいなかったのでしょう。・
かえすがえすも、この傑作に不完全作の汚名を着せてしまったのが残念ですね。』
当時積極的な応援に廻らなかった私には、耳の痛い言葉です。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや・・・」かっての山田修司さんのようにひとり無念を噛みしめていたに相違ありません。
これを境に静かに詰棋界を去ったかに見えた田島秀男さんは、月日とともに心の傷も癒えたのでしょうか、最近は正解者皆無の傑作『乱』で看寿賞、『乱』に勝るとも劣らぬ名作『らせん』でめいと賞を受賞するなど、相ついで大作を世に問い、その天分を発揮しつつあります。

『古時計』は回り始めたのです。



さてこの論文が出るやいなや、各地で議論が活発に行われ、翌月4月号にはたくさんの意見が読者サロンに寄せられました。
要点だけ紹介していきます。

川崎弘氏
玉方最長原則に反する、無駄合の概念がどうしてできたか。指将棋からの素朴な感覚に基づくが、「原型に戻るまでの順が一目でわかるから」が暗黙の了解であり、戻るまでの順が難解な場合は想定されていなかった。後者のケースは古時計を含めて私が知る限り3局であり、いずれもその都度疑問が提示された。
想定していなかった事態が起きたのだから、総合的に議論を重ねた上で解釈を確定するのが本筋だろう。
これについての詳しい私見は「詰棋めいと20号」に掲載した。(現在手元になく参照できず)

白川文夫氏
無駄合は変長の中で例外的に不問とされてきたもの。よって手数を引き延ばすためだけの「応手」を排除してきたのではなく、手数を引き延ばすためだけの「合駒」を排除してきたのだ。よって古時計の65玉は合法。
例えば下図で38歩合は「無駄合」ではないが「無駄な応手」には当たるだろう。こんなのも認めろというのか。
shirakawamudaai.png
(38歩合以下、同馬、18玉、36角、27歩合、同馬、29玉、47角、38歩合……)

護堂浩之
私が問題だと感じたのは、「65玉が無駄な応手か」ではなく、「63香合~65玉の組合せが無駄なのか」ということ。例えば「63香合とするとその後の65玉という無駄な応手が最善となってしまうので、63桂合が作意です」という場合も考えなければいけない。馬鋸の無駄合の延長線だけで片付けられるものではない。
また、解答者の負担はどうか。ループ手順が長ければ長いほど、無駄とは言えなくなるのではないか。
なお山田氏の発言中の「小沢さんは柔軟に考えてほしかった」という部分は間違え。彼は「この変化は変長なのではないか」と指摘しただけなのだから。むしろわかりにくい変化の書き方をした作者が第一の責めを追うべきでは。

大和敏雄氏
私の無駄合判定基準は、「合駒を王手した駒ですぐに取って」、「その合駒を使わずに」、「2手長くなる」こと。
すると大矢数は変長になる。ただ馬(龍)鋸作は例外としてもいい気がする。近年では合駒されたら早く詰む工夫がなされている作が多いが。
古時計完全説の骨子は、「合駒以外の玉方無駄手がある」ことだとわかったが、合駒以外の玉方応手はすべて有効手であって、そのうち作意でないものを変化と呼ぶのではなかったのか。
「原型復帰」の概念は玉方応手ではなく、攻方の無駄手(連続王手の千日手)を排除するために使われたものではないのか。持駒を含めての「原型復帰」判定と分けるべき。

議論はさらに5月号読者サロンにも続きます。

山田修司氏
誌上では反対意見が先行するようだが、詰工房サイトの詰将棋メーリングリストに寄せられた意見では逆の現象が生じているようだ。以下、各氏の意見。

山田剛氏
安江氏の論旨には概ね賛成。
無駄合はいろいろ問題を抱えてはいるが、みんなが賛成しようが反対しようが一つに決めなくてはならない。そのようなルールモデル論を確立する必要がある。

森田銀杏氏
その他にキズ作だと思っている人もいるだろう。私も、馬鋸の無駄合と同様にやむを得ない変長だと思うので、作意との相対評価で出題の適不適を判断すべき。

田口正明氏
どうもピンとこないので敬遠したい。

伊藤正氏
玉方最長の「例外」をいくのが無駄合の概念。例外が形成されるには「こんな手は意味がない」という共通感覚が必要。

山田剛氏
ここでいう共通感覚が、「詰将棋界における共通感覚」だとすれば、閉じた世界におけるそれが最優先されていいのだろうか。「詰将棋界のしきたりを理解できない輩はこの世界に入ってくるな」とならないか心配。

伊藤正氏
安江論文における古時計完全説の証明は、「無駄合が禁手になった理由は一般化できる」ことを前提としているが、果たしてそうか。

山田修司氏
詰将棋はフェアリーと違って、まずルールありきではなく、実戦の終盤から派生したものなのだから、ただ相手に駒を渡すようなそれこそ意味上における意味のない手を許さない実戦感覚が背景にある。だから無駄合はしないこととして発展してきた。
歴史的に考察するなら、詰将棋の解答募集形式の普及に伴い、そのルールが後付されたのだ。
「玉方最長則の例外が無駄合」なのではなく「無駄合の排除によって玉方最長則が成立している」と考えれば、見え方も変わってくるのでは。

摩利支天氏
先月号に出ていた意見は、今後の詰将棋の発展を考えた建設的な意見とは言いがたい。
古時計は、従来の規約の概念のあり方を問う問題提起だった。
詰将棋のルール作りとして捉えるべき問題が、いつの間にか作品成立のための問題にすり替わってしまっている。

山田修司氏
これだけの評価を受けた作品を、一朝にして不完全作としてしまった扱いは乱暴だった。
結論は保留し読者の意見を広く求めるというのが、鶴田主幹依以来のパラの伝統ではなかったか。
あるいは問題点を明らかにした上で評価は鑑賞者と歴史の審判に委ねる、でもよかったと思う。

松沢成俊氏
「不完全作は乱暴」には賛成だが、私は古時計を解いたとき、作意がわからなかったのだ。この無駄合絡みの引き延ばし手順が完全に不問になるとは思えない。少なくとも解答募集のときは明らかに詰まない順以外は正解にしてもらわないと困る。

山田修司氏
作品の完全・不完全とは別に、解答規定の面で考慮すべきことがある。
これらの概念を混合しないようにしなければいけない。
いずれにしても、10年前の古時計発表時に、この問題に気付けなかったことを歴史的事実として受け止めるべきだと思います。



ここまでをまとめるのにたいへん苦労しました 笑。
さらに翌月、6月号に続きます。さらに要点だけをかいつまんだ書き方になりますが。

安江久男氏
いったんルールを決めたら、当事者のみならず、第三者が客観的に判断して同じ結論に至る指標になってこそルールたりえる。たとえ感覚的に違和感を伴おうと、条件に合致する限り適応しなければならない。ただし、評価を与えるのは鑑賞者に許された自由な権利だ。
客観性のあるルールは必要。だからこそ数百年続いた妙手説は排除されたのだ。「原型復帰する手順が難しいから有効合とみなす」という考え方では、客観性のあるルールを作ることは困難。それこそ作品の完全性と解答審査を正しく分けて考えることができれば、回帰手順の複雑さは何の障害にもならないと思うが。
私が引用した山田さんの発言は仲間内でのメールのもので、公式な発言ではなかったことは申し訳ない。だれの責任かという部分は本旨ではないことをご理解頂きたい。また当時まだ若かった作者に多くを求めるのも酷ではないかと。
いずれにしてもルール規約が簡単に割り切れるものではないが、少なくとも古時計に関しては早急すぎた不完全作判断を白紙に戻すべきだ。

護堂浩之氏
作品の完全性と解答規定を切り離してしまうと、合意が取れているとは言いがたく、看寿賞の選考方式にさえも影響するのではないか。
とにかく安江論文だけで古時計が動いていると言うには不十分。議論を突き詰めた結果、古時計が不完全作となったとしても、詰将棋の歴史から忘れられることはないでしょう。
ただ、名作選などに掲載できないということはあるかもしれないが、それは編集者側の問題だろう。

川崎弘氏
無駄合などの曖昧な部分をそもそも明確に決める必要があるのかどうか。「シロクロは明確に決め得る」の判断に基づき「決めるべきだ」を方針とする立場と、「実戦から自然発生した詰将棋ではシロクロを明確化できない部分がある」として「せめて灰色度を判断する基準だけは明文化しよう」とする立場がある。もし規約作りをするならば、どちらの立場で行うかをはじめに決めなければいけない。
私は後者派だが、コンピューターに触れている方は前者かと。もちろんソフトを作る上では前者の立場をとる必要があるが、それを実用に100%適応させるか否かは別問題。

筒井浩美氏
古時計はさておき、大矢数に代表される原型復帰型無駄合について、これを無駄合とする論拠は「持駒には限りがあるのでいずれは合駒ができなくなってしまう」ことだと思うのだが、例えば図巧100番における77同との応手は「いずれはと金がなくなり桂を取れなくなってしまう」から無駄な応手であるといえるのではないか。その根本的な違いとは。(図巧100番の例についてはわかりやすいように鈴川が勝手に替えました。なおこの疑問に対する僕なりの答えは、「持駒が玉方から攻方に渡ることによる玉方のメリットは論理的にゼロだが、盤上の玉方駒が消えることの玉方のメリットは時としてプラスになるから違う」です)
山田氏は実戦感覚云々と仰っているが、近代の詰将棋は実戦感覚を排除する方向に動いているように見える。そんな流れの中で実戦感覚に基づく判断をすることは時代に逆行しているのでは。



詰パラに載っている、古時計に関する論争は、おそらく以上です。
繰り返しますが、僕はこの場で無駄合規約について議論しようとしているわけでもなければ、新しいルール規約を作ろうとしているわけでもありません。
ただ今までネット上では情報がなかった古時計という作品に関して、これから詰将棋に取り組んでいこうという方々にも知っておいてもらいたかったこと。
そして詰将棋のルールについて今後議論したい方は、今まで何度か行われてきたこのような議論を踏まえた上で、相当の覚悟を持って行って頂きたいということ 笑。
歴史を知らずして今を語ることはできません。しかし詰将棋という小さな世界では歴史を知る方法も限られている。だからその一部だけでも、ネットを通して、ここに紹介しておきたいと思ったのです。

そして僕もこれをまとめる上で、以前ちらっと言っていた詰将棋機械論およびソシュール言語学的詰将棋分析法に関して、少し前進したように思います。

実戦から派生した詰将棋は、独立の分野を切り開くため、ルールの大枠が用意された。
そこではもちろん実戦的に妙手とされる手が妙手と扱われてきた。
しかし現代では、詰将棋の芸術的要素をさらに開拓しようとしている。
だから、ルールを先に用意することによって、詰将棋のフォーマットを逆転させてみる。
意味により言語が作られるのではなく、言語があるから意味が発生するのだ。
我々は、言語記号の網の目を通してしか、事物を分節できない。
言語を用意すれば、その組合せのすべてのパターンを網羅できる。
新しい言語をもとに形成された詰将棋では、いったいどんなことが表現できるのだろう。

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昔独学で符号論を学んだ事があります。符号にしても言語や文字にしても、伝達や記録の手段なんですよね。だから必ず先に意図や行動があります。
でも
敢えて伝達の手段を変える事で今までなかった意図や行動が新しく生まれるのも確かで、分かりやすい例ではフェアリーですね。詰将棋本来のルールも取り決め方を少し変えるだけで、またそこには未知の世界が広がるかもしれない、その考証に携われるかもしれないと思うと、ワクワクしてくる問題なのかもしれません。

ルール確立の必要性

僕は詰将棋の問題点はルールが確立されていない事。
確立しなくてはならないと誰しも思っている事なのにそれが難しい。
無駄合は考えが全く逆になっているのに、どちらもそれはおかしいと言い切れないところがある。
論議をしたって交わる事がないので、確立は不可能と言えますね。
僕は大和さんと全く同じ考えで「王手した駒で直ぐ取り2手伸びる」場合のみ無駄合と思っているので、これは論議の余地のない有効合と考えますが、納得しない人がいるのでこう規約する事が出来ないのが現状です。

アナウンスが必要

ある合駒が有効合だったり、無効合だったりということでは、般若一族の「園裡の虎」と同じような作り。
ものすごい、ややこしいことを考えるものだなあ、という印象です。
簡単に言えば、「変長ルールを利用した、ずるい作品」だと。
馬ノコや龍ノコの呼び戻しの合駒と同じで、私はこの合駒は有効合で変長と思っていますので。
ただし、先日のデパート作品と同じように、出題時に「呼び戻しを無駄合とした作です」というアナウンスさえあれば、作品を楽しむことはできたのではないかと思います。
それがない状態で出題されたので、余計拒否感があったのだと思います。
解答者の立場からすると、そうじゃなくても、田島作なのですから。

No title

>小林さん
チェス・プロブレムの世界でも、ルールありきの傾向があるようです。
というのも、プロブレムの作品は実戦から切り取ったものという場合は少なくて、というより、やはり持駒がないぶん詰将棋的なルールにしてしまうと限界があるようで、協力詰などさまざまなルールで楽しまれているようです。
だからこそ、「ピン」「ツイン」「バッテリー」「スイッチバック」「ルントラウフ」などといった、構造に関わる用語が生まれているのです。
そしてそれが詰将棋用語として輸入されていることを考えれば、これからの詰将棋の流れが見えてくる気がします。

>三輪さん
無駄合だけでなく、変別や最終手余詰に関しても意見が分かれるところでは分かれています。
ただ、本文中で言われているように、解答の正誤判断の基準と詰将棋の論理体型を踏まえたルールは別物で、それを分けて考えるのであれば少なくとも正誤判断基準のほうは確立は可能なはず。
だのに、15年前のこの議論からほとんど進んでいない。
そこが一番の問題点なのだと思います。

>解答欄魔さん
園裡の虎、般若一族作品集で初めて見ました。とても気に入った作品です。
あの作品は84歩合の可否でしたが、古時計では無駄合というよりも護堂氏の指摘するように「無駄手順」とみなしたほうがいいでしょうね。
11月号デパートで、あらかじめ注釈がついて原型復帰型無駄合を認めると宣言していたのは、なかなか今までなかった素晴らしい機転だと思います。
逆に言えば、古時計は出題時はおろか解説者も解答者の中にも、原型復帰する手順があることに触れてさえいないのが甚だ疑問ですね。

見落とし

問題の65玉の応手は投稿用紙には記入されていませんのでした。出題・結果発表の時点では編集部も解説者も解答者も作者も気がついていなかったのです。
作者が承知の上で投稿していたならば、状況は変わっていたでしょうね。

No title

>柳原さん
なるほど……全員が全員見落としてしまうというのも珍しいですね。
小沢氏が指摘がなかったらどうなっていたことか……。

無効手と言えるが

古時計は合駒自体は有効合でしかないですが、応手が無効手になるかですね。
ある局面から持駒だけが玉方から詰方に移動する。
盤面が全く同じで詰方の持駒を増やす得は玉方にはあり得ない。
ならばこの応手を禁止しても論理的にはおかしくない。
決め事なのでどっちにしても間違いではないと思います。
ただ僕は詰将棋ルールは簡略しなくてはいけないと思ってます。
詰将棋を初めてやる人が少しでも分り易い方が良いと思っているからです。
ならば65玉は有効手で作品としては不完全作で良かったと思います。
でも作品としては生きている。
古図式だって最長応手になっていないので不完全作。だけど作品としては生きている。

No title

作品としては生きているという表現、いいと思います。
ただ、充分な議論がなされないまま不完全作となったがために、ネット上で見ることすらできなかったという今までの状況では、生きているとは言いがたかった。
それを今回のこの記事で、知らない方にも触れてもらうことができました。
そういう意味を込めて記事タイトルは「回る」ではなく「動く」にしています。

解答者より

柳原氏は
「編集部も解説者も解答者も作者も気がついていなかったのです」とおっしゃいますがそんなことはありません。
解答者としては
6五玉があるから作意の推定が困難だったのです。
結果発表も非常に遅くてどう解答したかすっかり忘れていて反応できませんでしたけど(笑)

No title

>まっつぁんこさん
当時の解答者の声が聞けるのはとても貴重なことです。
確かに、解答者としては65玉は解く上で必ず読まなければいけない変化なので、誰も気付かなかったというのもちょっとおかしな話。
作意が特定できなかった方々は解答を出さなかったため、その問題点が表に出てこなかったのでしょうか。

無駄合

わたしは解答を出しました。
6五玉と逃げた場合の変化?は無駄合とは思いませんでした
したがって最長手順(作意)の推定が困難だったのです。

No title

なぜそういう声が握りつぶされてしまったかということは、言及に値しそうですね。
もう少し早く気付けていたら……と思います。
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my cubeへようこそ。詰将棋のブログです。駒を並べてアートが表現できるって素敵なことじゃありませんか? 詰キストの方もビギナーの方も楽しんでいってください。

管理者:鈴川優希
月刊誌「詰将棋パラダイス」を活動拠点とする詰将棋作家。石川県のド田舎育ちですが、大学進学とともに東京へ。詰工房などの会合に顔を出したり、解答選手権などのイベントを運営したりしてます。詰将棋は小学生の時から作り始め、2009年5月に詰パラ初入選。2015年12月に最年少同人入り(入選100回達成)。半期賞受賞6回。2016年4月より詰パラ連載「ちえのわ雑文集」の世話役に就任。現在、第一作品集を執筆中。出版は今夏を予定していましたが果たして……。

第n回裏短編コンクール
2015年11月に開催した企画で、7手詰を募集して17作を出題しました。45名もの方に解答していただき感謝です。順位発表はニコ生で放送するという新しい試み。

第φ回裏短編コンクール
2016年、裏短コン2回目の開催。9手詰25作出題の大盛況でした。結果稿はいずれもブログ右袖のカテゴリーからどうぞ。

たのしく、うつくしく。
難解? 複雑? そんなものとは無縁な「易しいからこそ楽しい」作品を紹介していく連載です。不定期更新。

解付き出題
自作を解付きで出していた企画で、現在#120をもって休止中。在庫整理の意味合いが強いので質より量です。

今週の詰将棋・
詰将棋ウィークリー

今週の詰将棋は2009年7月からの2年間100題。詰将棋ウィークリーは1012年3月からの50週は幻想咲花さんとのコラボ、それ以降は鈴川単独の出題で2014年3月まで、#100をもって終了しました。解答して頂いた方に感謝します。
※81puzzler閉鎖につき詰将棋ウィークリーの記事にはリンク切れが多いです。

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